[最前線]

未来予測ビジネスへの挑戦─市場メカニズムを用いた高精度な予測システムとその活用方策

2008年9月25日(木)野村総合研究所

さまざまな意見を持つ人々から効率的に集団知を導き出す──。未来の出来事を市場メカニズムにより予測することから、これを「予測市場」と呼ぶ。選挙結果の予測や新商品開発、サービス改善など多方面での利用が考えられている。国内外の先進事例を分析し、予測市場を上手に活用するための制度設計や運営のポイントを探る。
※本稿は野村総合研究所発行の「知的資産創造Vol.15 No.12」に掲載した記事に加筆して掲載しています。

 不確実性に溢れている世の中で未来を予測するのは難しい。それでも我々は次に何が起きるのか、いつも予測しながら暮らしている。そうした予測はどれほど信頼できるのだろう。

 天気予報はピタリと当たるほうが珍しい。エコノミストの予測は発言の意図が曖昧で、予測というより希望的観測と思えることもある。予測の当たり外れを後から総括することは滅多になく、大きく外れても責任を問われないので、予測の精度は低くなる。

 天気予報ならまだしも、需要予測に失敗したら大ごとだ。傘が無くて雨に濡れる分には我慢もできるが、企業活動について言えばそう簡単に済ませられる問題ではない。少なめに見積もり過ぎれば供給不足で機会損失が発生するし、過大な予測で大量の在庫を抱える羽目になればもっと悲惨なことになる。最終的な意思決定をする経営層の責任は重い。その決断一つで多くの従業員が路頭に迷うかも知れないのだ。

 2006年に翻訳出版された一冊の書籍がビジネス界でも話題になった。邦題は『「みんなの意見」は案外正しい』(原題:The Wisdom of Crowds)。

 「三人寄れば文殊の知恵」という日本のことわざがある。ごく普通の人でも三人集まれば何とか良い知恵が浮かぶ、という意味だ。本書の内容もほぼ同意である。著者は「普通の人々の集まり(群集)」でも、工夫次第では「能力的に勝る個人」よりも優れた結果を導き出すことが可能である、ということをさまざまな事例の分析を基に示している。

 これは、個人が処理できる能力には限りがあるのに対し、さまざまな資質や異なる考え方を持つ人々が集まれば、足らない部分を相互に補い、全体として知識の幅や判断能力が向上するとの仮説に基づくものである。加えて、人が経験則に従って何気なく行っている予測についても、我々は多くの情報に基づいて総合的な判断を下しており、結果として有効な結果を導き出しているとされる。

 例えば、アナリストが企業の業績悪化の予想を発表するより先に、個人投資家の売りによって株式市場で株価が下落することがある。センサーが集めた膨大なデータを基にスーパーコンピュータが予測した天気予報よりも、雲の流れや肌の湿り気、髪のセットの決まり具合など自らの日常生活の一部から類推した天気の方が当たる場合もある。

 つまり、「みんなの意見は案外正しい」ケースは身近なところでそれなりに起きている。予測市場とはこうした「群集の叡智」(集団知)を実用レベルに高め、将来の予測に活用する仕組みである。

将来の期待値で価値が決まる取り引き

 さて、「明日の日経平均株価終値が1万3000円以上なら100円貰える」という権利(仮想証券)を買うとすると、価格はいくらが妥当だろうか。100%確実に上回るのであれば最大100円まで支払う価値がある。一方、必ず下回ると分かっていればこの仮想証券に価値はない。つまり、この仮想証券の価格は事象の発生確率に応じた期待値を用いて表現できる。

期待値E=100円×(株価1万3000円以上の発生確率)

 70%の確率で上回ると考える参加者Aは、仮想証券の価格が60円ならば買う価値がある。参加者Aにとってこの権利の期待値は70円であり、現在の価格60円との差額10円が将来の利益として期待できるからである。同じく確率70%と考える参加者Bは65円でも買うかも知れない。取得価格が65円だとしても、まだ5円の利益を得る可能性があるからだ。

 そうなると参加者Aは権利を買うために自らも希望価格を引き上げ、ライバルの参加者Bと競争しなくてはならない。逆に、確率はもっと低いと考える参加者Cがいれば仮想証券は売却され、価格は下落する(表1)。このようにさまざまな情報を基にした参加者の思惑(予測)に応じて市場内で取り引きされ、仮想証券の価格は変動する(図1)。

表1 参加者の総意としての予測結果がまとまる仕組み(1)
自らの予測値と仮想証券の株価 市場参加者の行動 市場での株価の変化 参加者の総意として予測される結果
自分の予測>現在の株価 仮想証券を買う 価格が上昇する 発生する確率が高まる
自分の予測<現在の株価 仮想証券を売る(空売りする) 価格が下落する 発生する確率が下がる
自分の予測=現在の株価 何もしない 変化なし 変化なし

画像:図1

 定められた取引期間終了後、予測市場の運営者が実際の日経平均株価終値で仮想証券をすべて買い上げることで予測を評価する。この時点までの取引差額の合計が参加者の利潤となる。

 自分の予測が正しければ儲かるように市場が設計されているため、参加者はできるだけ正確な予測をしようと心がける。こうして決まった価格は取引参加者全体の総意としての発生確率の予測値を示していると言える。つまり、仮想証券の価格が60円ということは、「60%の確率で事象が発生すると市場参加者が予測している」ことと同義となる。このケースでは仮想証券の価格は事象の発生確率に基づく期待値であるが、映画の興行成績など具体的な数値をそのまま予測値として用いて取り引きする手法もある。

市場のメカニズムで叡智を導く

 予測市場の基本的なコンセプトは、市場メカニズムを用いて多くの人の意見を効率的に集約し、群集の叡智を導き出すことにある。予測市場を活用する具体的な流れは次の通りだ。

 まず予測の対象となる事象に連動して価格が決まる仮想証券と、それが取り引きされる市場を用意する。そのうえでさまざまな意見や考えを持つ独立した参加者に自由に取り引きしてもらう。参加者には予測の正しさに応じたインセンティブ(ポイントなどの報酬)が与えられるので、より正確に予測しようとするモチベーションが生まれる。

 参加者の予測行為は市場メカニズムを用いてそのつど価格に反映させる。予測は連続的に行われるので不意の変化にも対応可能だ。参加者は自らの利益を最大限に引き上げるべく、全体の動向を意識しながら行動するようになる。その結果、最終的な予測精度が向上する。こうして形成された結論(仮想証券の価格)は、参加者全体が集団として下した価値判断の結果である。そして、この結果が「案外正しい」わけである。

参加者の利潤動機が予測精度を向上

 予測市場はいくつかの点で従来の予測手法よりも効果的な予測が可能であるとされる(表2)。一つは、予測市場が参加者に求めているのは参加者個人の意見ではなく「結果がどうなるか」という点である。つまり、経済学者ジョン・メイナード・ケインズが言うところの美人投票の考え方に近い。よって母集団の属性や特性によるバイアスの影響を受けづらい。

表2 従来手法との比較
  予測市場 アンケート手法 統計的手法
何を予測するか 取引参加者本人の意見ではなく、「結果がどうなるか」の予測=みんながどう考えているかを聞いている 回答者本人がどう考えているかを回答する 存在する既存の統計からの数値のみ利用可能
結果の導き方 参加者同士が相互に意見を参考にしながら結果が醸成される。また、途中で何度でも予測を修正することができる 一人ずつ単独で回答する。他人の回答内容を事前に知ることはできない 過去の蓄積データの分析から関連性が高いと見込まれる事象(突発的な事象への対応不可)
重み付け 自信のある人は、多くの株数を売買することにより、判断結果の確信の度合いを表明できる 一人一票で、重み付けはない 相関係数によって重み付けの選択が可能
回答のインセンティブ 正しい予測を行うほど、より大きなリターンが得られるが、予測が外れたら謝礼はもらえない⇒正確な予測を行うように努力する 真面目に回答しても、適当に回答しても謝礼の金額は変わらない -
コスト システム開発・運用コスト、制度設計のコスト等が負担 広く一般的に実施されており、コストも十分に安い 情報さえ集めれば、机上の計算のみで結果を導き出せる

 例えば、高齢者でなくとも自らの知識を頼りに高齢者の行動を予測するのは可能だ。回答するという行為自体にインセンティブが与えられるアンケート調査は報酬目当てに適当でいい加減な回答をすることがある。だが、予測市場では正しい予測をしないと何も得ることができないため、参加者はできる限り正確に予測しようと努力する。

 予測市場では市場メカニズムに基づいた取り引きが繰り返し行われる点もある。予測は一度きりではなく、状況に応じていつでも変更できる。参加者間の意見の相違は市場を通じた裁定取引によって吸収され、仮想証券の価格で表わされる全体の総意としての結論にたどり着く。その過程において、参加者は各自の利益を最大化すべく、他人の意見と自分の意見をすり合わせながら取り引きする。このように個々の参加者が全体の動向を意識して行動することで最終的な予測精度が向上する。

米国にみる予測市場の研究と実用化

 予測市場の原点となるアイデアは1940年代の米国で生まれ、その後は実験経済学の分野で市場デザインに関する研究が進められてきた。現実の通貨を用いると違法な賭博行為と見なされる可能性があるため、一般的には仮想通貨を用いて運営されている場合が多い。米ヘッジストリートのように米商品先物取引委員会(CFTC)の認可を受け、現実通貨を用いて取り引きする政府公認の予測市場も存在する。

 望ましい予測結果を得るための仕組みやさまざまなルールを制度設計と呼び、予測市場ではこの部分をどう組み立てるかが最も重要なポイントとなる。そこで、大学などの研究機関のほか、ネット系のベンチャー企業や大手金融グループなどが実証実験を繰り返すなどして実用化に取り組んでいる。

 米グーグルでは製品の出荷時期や新オフィスのオープン日程など、自社にとって戦略的に重要な事象をテーマとして予測市場を活用している。1000人以上の開発者が参加し、予測を的中させた成績優秀者には賞金と賞品が提供されている。

 米ヒューレット・パッカードは企業内利用の予測市場ソフトウエア「ブレイン」を開発し、自社で利用するとともに外販も行っている。ブレインの社内テストでは、PC用メモリーの価格予想において従来手法に比べ誤差率を37%改善しており、営業利益の予測でも同様の結果をもたらすなどの成果を得ている。

 米マイクロソフトも社内向けソフトウエアのリリース日を社員によって予測した際、スケジュールが遅れることを的確に予測できたとされる。米インクリングや米コンセンサス・ポイントは主として企業向けに予測市場ソリューションを提供しており、制度設計のノウハウを蓄積しながら、各顧客企業向けにカスタマイズされた予測市場の仕組みを提供している。

 先行する専業各社はそれぞれ差別化を狙った独自の特徴を打ち出している。プログラム化されたマーケットメーカーにより市場取引の流動性を確保する米ハリウッド・ストック・エクスチェンジ(HSX)や米テックバズ・ゲーム。数多くの実績を踏まえた制度設計ノウハウを売りにする米ニュースフューチャーズや、10年余りにわたる長期の基礎研究で得た各種ノウハウを基に企業向けビジネスに特化する米コンセンサス・ポイント。企業や研究機関、一般向けなど、ニーズに応じたさまざまなパッケージを用意する米インクリング、現実通貨を用いて取り引きする米トレードスポーツなど、さまざまなスタイルの予測市場が存在する。

 これらは予測テーマと市場参加者の種類で大別できる(図2)。現在の主流は一般市民を対象にマーケティング・販促を目的に行われているタイプと、従業員を参加者として企業内の意思決定支援に使われているタイプとがある。

画像:図2

この記事の続きをお読みいただくには、
会員登録(無料)が必要です
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
バックナンバー
最前線一覧へ
関連キーワード

アナリティクス / 未来予測 / はてな / Google / Microsoft / 野村総合研究所

関連記事

トピックス

[Sponsored]

未来予測ビジネスへの挑戦─市場メカニズムを用いた高精度な予測システムとその活用方策さまざまな意見を持つ人々から効率的に集団知を導き出す──。未来の出来事を市場メカニズムにより予測することから、これを「予測市場」と呼ぶ。選挙結果の予測や新商品開発、サービス改善など多方面での利用が考えられている。国内外の先進事例を分析し、予測市場を上手に活用するための制度設計や運営のポイントを探る。
※本稿は野村総合研究所発行の「知的資産創造Vol.15 No.12」に掲載した記事に加筆して掲載しています。

PAGE TOP