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[中島洋の特別対談]

石狩データセンターを軸に業容拡大 顧客起点のサービス提供を追求

2012年4月9日(月)

さくらインターネット株式会社は2011年秋、北海道石狩市に寒冷地型のデータセンターを稼働させて話題を呼んだ。学生ベンチャーとして創業して15年余り。田中邦裕社長はまだ34歳である。ビッグデータ処理、BCP(事業継続計画)需要の急増…。データセンター市場が拡大する中とはいえ、追い風をつかんだ事業展開は業界の熱い視線を浴びている。なぜ北海道に拠点を設けたのか。はたして手ごたえはどうか。石狩センター以降の事業戦略はいかに? 現状と将来の展望を田中社長に聞いた。(文中敬称略)

今月のゲスト

田中邦裕氏
田中 邦裕 氏
さくらインターネット株式会社 代表取締役社長
1978年、大阪府生まれ。国立舞鶴工業高等専門学校に在学中の1996年にさくらインターネットを創業。共有ホスティングサービスを手がけ、注目を集める。卒業後に事業継承会社の設立などを経て、99年、さくらインターネットを設立。社長に就任し、現在に至る。2005年に東証マザーズに上場


インタビュアー

田中邦裕氏
中島 洋 氏
MM総研所長
1973年、日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたり、ハイテク分野、総合商社、企業経営問題などを担当。1988年から編集委員。この間、日経マグロウヒル社に出向し、日経コンピュータ、日経パソコンの創刊に参加し1997 〜 2002年慶応義塾大学教授。現在、MM総研所長、国際大学教授、首都圏ソフトウェア協同組合理事長、全国ソフトウェア協同組合連合会会長等を兼務。


中島:石狩データセンター(DC)は最大で4000ラックまで拡張できると聞いていますが、目下の実態は?

田中: 昨秋、500ラックを収容する建物が2棟、つまり合計1000ラックを収容する施設が完成しました。1月末時点で実働しているのは2割程度。今後は毎月、20〜40ラックのペースで増加していく見通しです。

中島:貴社は大阪でDC事業をスタートしてすぐに東京にもセンターを開設しました。これまでは東阪が中心だったわけですが、一気に北海道の石狩に、それもかなり大規模なDCの開設を決めた背景には何があったのでしょう。

田中: DCの立地には2つの基準があります。まず、コスト。中でも「省エネ」という観点は重要ですね。クラウドやWebサービスの領域では、利用者が国内のどこにDCがあるかをさほど気にしないケースも少なくありません。こうした点では、電力コストを抑えられる地域がベストです。もう1つの立地としては「需要の近く」というのがある。東京や大阪、海外では西海岸やシンガポールがその典型ですね。

そうした中、石狩は省エネにメリットがあります。冷涼な気候をうまく利用した外気冷房などは典型例。最近の世界の大型DCを見ても、寒冷地へという流れがあります。土地代が安いのも北海道の魅力で、規模の拡大にも容易に対応できます。

グローバル展開も視野に

中島:石狩DCを拠点にした新たなサービスを考えていますか。

田中: 東京/大阪で2000ラック以上を運用してきたこれまでを振り返ると、最初はホスティングやハウジングが主力。やがてクラウドへの需要が大きくなって、仮想化サービスも順次提供してきました。

当社はコスト競争力に強いこだわりがあります。この点で、起業間もないベンチャー企業にとっては初期経費を抑えられるメリットがあるので顧客は拡大しました。Amazon Web Servicesとの競合が厳しくなった折には、仮想サーバーを月額980円から提供するサービスで対抗し、こうした展開が功を奏して2万件以上のユーザーを得ることができました。しかし、スモールスタートの企業は成長すると、自前のDCの方が効率的ということで“卒業”してしまうケースもあるんです。そうした“卒業組”の需要も取り込もうと「専用サーバー」に力を入れようとしているところです。

中島:「専用サーバー」というと?

田中: クラウドサービスの主流はマルチテナント。1台のサーバーを多数のユーザーで安価に利用できるのは良いのですが、オーバーヘッドが大きく処理スピードが遅くなる側面もあります。Webでサービスを提供する企業の場合、一定の規模になるとスピードが勝負になって、マルチテナントではなく、物理的にサーバーを占有する要求が出てきます。このニーズに応えるサービスを電力コストや土地代の安い石狩DCで提供していこうと考えています。

中島:業容が急拡大すると応答速度の改善が喫緊の課題となりますからね。

田中: もう1つ、ビッグデータの解析にも最適なんです。大量のデータを対象とした処理は思いの外、電力を食うんですよ。となれば、大都市圏ではなく電力コストの安い郊外のDCで専用サーバーを使い、出てきた結果を回線で送ればよい。電気を送るより情報を送る方が効率的ですからね。こうした需要が大きくなると踏んでます。

中島:BCPの需要はどうでしょう。

田中: 首都圏や近畿圏にDCが集中していたのは、「需要に近い」という意味があったわけですが、大震災でその短所も明らかになりました。自家発電に必要な燃料の優先契約をしていても、想定外の災害時には供給側の石油が払底し、配送できないという現実に直面した。結局、広域に分散させるしかないと骨身にしみた企業は少なくないと思います。そうして、北海道や沖縄が重要なBCP拠点として注目されることになりました。

中島:BCPとなると回線も多重化が必要ですが、石狩DCの対応は?

田中: 日本海側と太平洋側にKDDIの光ファイバーを各1系統ずつ通し冗長化、さらにNTTの光回線を使って高速性を確保しています。東日本大震災後は、機材ごと預かってほしいという要求が増えました。設備は石狩DCでオペレーションは東京や大阪で、というリモートハウジング的な用途も、高速回線の利用でサービスできます。中には石狩をメインにして東京をバックアップにしてはどうかというユーザーも出てきました。

中島:グローバル展開についてはどうでしょう。

田中: 石狩DCが2000ラックくらいの稼働実績になると、事業の半分程度が集中してしまいます。リスクが大きくなるので分散の必要がありますが、次は需要の大きな地域にDCを作ることになるでしょうね。まだ具体的な検討段階ではありませんが、大きな経済成長が見込める東アジアや米国西海岸には興味があります。シンガポールやベトナムが拠点になるかもしれません。円高を利用して買収するという手段もあるかもしれない。英語版のWebサイトは徐々に用意しています。いずれにしろ、人材の確保が重要な課題になりますね。

15年の経験を次に生かす

中島:着々と成長を遂げてきましたが、そもそもの起業のきっかけは?

田中: 高等専門学校時代に学内でサーバーを立ち上げ、オープンなWebサーバーソフト「アパッチ」の日本語化にも協力していたんです。ただ、アクセスが増えると学校側から止めてくれと言われて、自分のためにサーバーを買ってインターネットにつなぐことを始めました。ドメインを取って運用するだけで月に2万円くらいかかる時代です。サーバーは100万や200万円したし、あれこれで300万、400万円は必要で…。

中島:学生には無理な金額だ。

田中: それで大阪の日本橋で安いPCサーバーを買って、オープンソースでサーバーを立ち上げました。その頃にサーバーインフラを貸し出すという事業モデルが頭にありました。地元のプロバイダーでアルバイトする代わりにサーバーを置いてもらって、10万円程度の投資でサービスを始めました。まさにスモールスタートを地でいったわけです。以来、「サーバー提供」のあり方を探りながら事業を続けてきました。

中島:まさに走り続けた15年ですね。

田中: インターネットの発展に微力ながら貢献できてきたことは、本当に貴重な経験です。ますます技術革新が進む中で、少しでもユーザーの価値につながる事業をこれからも続けていくことが当社の大きな使命です。

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