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中小企業における情報化の実際--IT活用ではなく、まず足下を見直す

中小企業のIT活用は本来、どうあるべきか─。実はこの問自体が間違っている。IT活用で先行する中小企業の経営者はいったんITから離れ、改めて足元を見直すアプローチを採っているからだ。今回は「J-SaaS」を題材に、中小企業の取り組みを見る。

図1 枚岡合金工具の社長である古芝保治氏 図1 枚岡合金工具の社長である古芝保治氏

枚岡合金工具は大阪・天王寺に本社を構える資本金1000万円の金型メーカーだ。1949年にボルト、ナットの製造で創業し、現在の売上高は約2億円。従業員数は正社員が13人、非常勤役員やパート・アルバイトまで含めて20人強である。典型的な地場の中小企業といっていい。

普通の町工場と違うことの1つは、冷間鍛造、超硬合金の微細仕上げなど特殊な金属部品加工技術を保有していること。このため取引先リストには自動車メーカーや家電メーカー、建設業など著名企業が並ぶ。

もう1つは部品を作る金型の図面を自社開発したファイリングシステムでデータベース化し、検索可能にしていることだ。詳細は後述するが、図面は9万以上あるからシステム化の利点は多い。加えてそのシステムを「デジタルドルフィンズ」の名で外販するなど、ITを経営に活用。経済産業省が実施したプログラム「中小企業IT経営百選」の2006年度最優秀賞に選ばれた。

一方、経済産業省が日本の中小企業の経営高度化を目指し、今年3月末にスタートさせた「J-SaaS」というサービス。普及・啓蒙のため、同省は3月中に全国100カ所でセミナーを開催した。

そのセミナーの1つ、「J-SaaS全国キャラバンin高松」の最後に行われたパネルディスカッションにユーザー側パネラーとして登壇したのが、枚岡合金工具の社長である古芝保治氏である。「呼ばれればどこにでも行きまっせ」の気さくな人柄もあいまって、古芝氏は講演会や雑誌のインタビューに引っ張りだこになっている。「あ、知ってる」という読者も少なくないだろう。

「基本は3S、つまり整理、整頓、そして清掃。製造業の経営を改革するには、これ以外にありません」。こう切り出して、同氏は自社のプレゼンテーションを開始した。IT経営を知ろうと思ってセミナーに参加した人に、この言葉は違和感を抱かせたかも知れない。というのもJ-SaaSのキャッチフレーズは「中小企業経営者の右腕」。そのために財務会計、人事給与といった企業経営のためのアプリケーションを用意している。古芝氏の言葉は「わたしら中小企業にとって、システムは2の次、3の次」と言っているように聞こえる。受け取りかたによっては、J-SaaSの存在意義を否定しかねないのだ。

J-SaaS紹介ビデオ

「鶴田酒店はどこの商店街にもある、ありふれた個人経営のお酒屋さんだ。ご主人の鶴田常男氏が仕入れと営業、奥さんの恵子さんが経理を担当し、2人の店員を雇っている。

毎日の商売は順調だが、このところ鶴田氏は溜息をつくことが多い。運転資金の見通しが分からないために、ビジネスチャンスを失って奥さんからなじられ、一触即発の険悪ムードが漂った。店員が誤って名刺の束を床に撒き散らす、ダイレクトメールは宛先不明で戻ってくる、商店街の寄合いをすっかり忘れていて大慌てで飛び出して行く…。ドタバタが続いていたからだ。おまけについ先日、ノートパソコンを床に落として、情報が読めなくなってしまった。さて、どうしたものか─。

鶴田氏が、こう頭を抱えていたところに登場するのが「J-SaaS」である。インターネットとブラウザさえあれば、いつでもデータを管理でき、運転資金の見通しも顧客管理もバッチリ。手許のPCが壊れてもデータを失うこともないし、セキュリティは万全。商売上のドタバタが原因で気まずい空気が生まれていたご主人と奥さんの関係も円満になりましたとさ。メデタシメデタシ─」。

今年3月、全国で展開したJ-SaaS普及セミナーの会場で、このような紹介ビデオが必ず流された。J-SaaSを使えば、経営がIT化され、こんなに上手くビジネスが広がります、というのだが、読者はどう思っただろうか。ビデオを観た人たちの感想はおおむね、「そんなに上手くいくわけがない」というものだ。「昨日まで一本指打法だったキーボード操作が、J-SaaSを導入したとたん、タッチタイピングになるのはどういうこと?」、「PCに通信回線がつながってない。それに店の中だってきれい過ぎるのでは?」。こんなビデオの枝葉末節をあげつらう声が聞こえてくるのは、舞台設定に無理があったためだ。次のような冷めた見方もある。

「所詮はドラマ仕立てのPRビデオ。制作者たちは無理を承知で作っているのだし、経産省の担当者も官製SaaSの成功を信じているとは思えない。次世代サービスモデルが浮揚する弾み車にしたいのが本音ではないか」。これは政策のコンセプトに無理がある、という指摘にほかならない。その是非を議論する前に、考えなければならないことがある。「個人経営のお酒屋さんに、IT経営が必要か?」だ。

図2 J-SaaS紹介ビデオの1シーン
図2 J-SaaS紹介ビデオの1シーン
図3 J-SaaSサイトのトップページ
図3 J-SaaSサイトのトップページ

事務のIT化と経営のIT化

前述したように、J-SaaSが実質的にスタートしたのは、今年の3月31日だった。新事業の開始は年度が替わる4月1日というのが通常だが、年度末となったのは予算の関係があったためだ。2008年度内に事業を始めておかないと、次年度以後、予算が継続できなくなるという、お役所ならではの事情である。

文字通りの駆け込みだったため、関係者は十分な準備ができなかった。スタート時に用意したソフトウェアは、財務会計・販売管理・人事給与といった業務アプリケーションのほか、電子取引システムなど計26種。ところが3月中に全国で展開した普及啓蒙セミナーでは、利用方法や料金体系を明確に説明できなかった。

「擬似的でもいいから、J-SaaSのサイトに接続して利用手続きぐらいは説明したいんですが、できない。そんな状態で、便利ですよと勧めるのは辛いものがあります」。筆者がコーディネータを務めた各地で、このようなJ-SaaS普及指導員の声を耳にした(本誌注:6月初め時点では、利用手続きなどの情報がある)。にわか仕込みのセミナーだったため、地域経済産業局や商工会との連携がないばかりか、同じ日に類似のセミナーが重なっていたこともある。

「お役所は『大企業と比べて中小企業はITの利活用に遅れている』と考えている。ITに投資できる余裕がない、専門の人材がいない、強力にバックアップしてくれるITベンダーもいない。だから“早い・安い・うまい”の牛丼でいいだろう、というのはちょっと違う」。こう言うのは、石川県の武生市でITコンサルタントとして活動している先織久恒氏だ。

同氏は福井県情報化支援協会の理事長であるとともに、J-SaaS普及指導員も務めている。その立場でJ-SaaSの意義は認めつつ、現在のプロダクト・ラインアップや利便性だけを強調するプロモーションには、あまり納得していないようだ。

長所と短所を見極める

図4 ITコンサルタントの先織久恒氏(福井県情報化支援協会) 図4 ITコンサルタントの先織久恒氏(福井県情報化支援協会)

J-SaaSがターゲットに想定している従業員20人以下の中小企業の場合、日々の入出金を管理するのは、パソコンの表計算と銀行口座で十分だし、コンピュータを使うほどの在庫もない。月次や年次の会計処理は税理士や公認会計士が面倒を見てくれるので、専用の業務システムは必要ない。まして財務会計や人事給与の処理に専従する事務員もいない。つまりIT化で削減できる従業員や事務処理の“のりしろ”は、ほとんどないに等しい。

「中小・零細企業の判断基準は、売上高の増加や顧客の拡大につながるかどうか。あるいは、いま抱えている問題を解決できるかどうか。大企業から見ると即物的かもしれないけれど、別の見方をすると必死なんですよ」(先織氏)。

IT経営の実を挙げるために同氏が指導しているのは、PCの利用法でも業務アプリケーションの選び方でもない。相談にきた経営者自身に、自分の会社のの長所・短所、強み・弱みを考えさせることだ。「経営者の錯覚だったり、認めたくないだけかもしれない。本当のところを経営者自身が把握して納得したあと、ではITで何がどのように解決できるかを一緒に考える」。

同氏はセミナーのパネルディスカッションでも、来場者にこう語りかけた。「J-SaaSを導入すればIT経営が実現するなんて、考えないでください。PCは道具、インターネットやソフトウェアは手段に過ぎないんです。解決策は経営者が見つけなければなりません。まずやらなければならないのはIT化でなく、自分のビジネスを見極めること。次に経営の質を改革していくことなんです」。

何のために仕事をするか

冒頭に紹介した枚岡合金工具に戻すと、その取組みは先織氏の指摘を地で行ったものだ。古芝氏の言葉を続けよう。「バブル崩壊後も仕事がなくなるわけではないし、経営的には何とか黒字だった。しかし気がついたら売上高はピーク時の半分近くに下がり、あっという間に赤字に転落してしまった。このままやったら会社は潰れてしまう。何とかせんとアカン、と思った」。

部品金型の設計・製造はすでにCAD/CAMシステムで効率化していたし、従業員はこれ以上減らせないギリギリの状態だった。効率化や省力化は限界に達していた。全員が毎日せわしなく仕事をしているのに、それでも利益が出ない。

中小製造業経営者の勉強会で京都の金属加工会社を見学したとき、きれいに整理・整頓された工場に目を奪われた。それにひきかえ自社の工場は雑然としていて、工具がどこにあるのかさえ分からない。金型の製作は職人技に依存しているので、企業の技術として蓄積されていない。

経験と勘に頼るため、しばしば図面との誤差が生じて手戻りが起こる。「そうした無駄な作業にかかる時間をお金に置き換えた。社員1人が1分を無駄にすると100円の損失になる。13人×30分で1日3万9000円、1年で800万円以上の利益が消えている」。

そこで古芝氏が考えたのが「3S」だった。社員全員で工場の天井を張り替えて職場を明るくし、不要品を廃棄して整理・整頓する。使った工具を必ず所定の位置に戻す。机の上に物を置かない。天井が映るくらい、床をピカピカに磨き上げる。

ベテラン社員らは「ワシらは金型を作るのが仕事。床磨きするためにおるわけやない」と抵抗したが、古芝氏はあるときは強引に、あるときは宥めすかして3Sを実行していった。このとき古芝氏が社員に問いかけたのは、「ワシらは何のために仕事をしとるんや」だった。

業態改革にも展開

「中小企業はどこかの誰かが何とかしてくれる、というわけにはいかん。これがダメやったら、次があるわけでもない。何でも自分たちで解決していかなあかんし、自分らにはここしかない。漫然と仕事をしていた社員が、そういうことを考えるようになった」。同氏はさらに続ける。「会社は何のためにあるのか、何を目的に仕事をするのかを全員が考えた。社員が出した結論は、お客さんから感謝されて、家族や孫に胸を張る仕事をしたい、ということやった。私は会社の利益はお客さんと社員のためにある、と考えた」。

先織氏の言葉を借りると、このプロセスは「経営改革に社員を巻き込み、モチベーションを与える」ということになる。職場を整理・整頓するという行為が、自分たちのビジネスを見極めることにつながり、職人技を会社の財産とするための文書管理・検索システム「デジタルドルフィンズ」に結実した。

同社に問い合わせの電話が入る。その場で図面を検索する。9万3000件の図面や見積書の中から、数秒で目的の図面を探し出せる。「お客さんからの電話で打ち合わせができるので、当社は電話代が助かるし、お客さんはますます当社を信頼してくれる」。

現在、「デジタルドルフィンズ」のユーザーは全国に約20社、同社のIT関連技術者は4人だ。本業は金型メーカーだが、ソフトウェア業というもう1つの顔も持つようになった。3Sが業態の改革にもつながった。「それは結果論。図面を探す時間をいかに短縮するかを考えただけ」と古芝氏は言う。

自分たちの仕事を突き詰めないままITを導入しても形骸化するか、他人任せになってしまう。それは企業の規模とかかわりなく、どこででも起こることだ。「IT経営の本質は、社員全員が情報を共有して、その時々の状況に応じた適切なアクションを自発的に起こす環境づくりやないですか。売り上げがどうの、在庫がどうのというのは、あとから付いてくることなんです」。

とはいえ同氏がJ-SaaSを否定しているわけでは、もちろんない。J-SaaSを使うと何とかなるのでは、という考えを否定しているだけだ。

ITの導入に成功することと、ITを有効に利活用することは違う。構築したものの、利用されてない情報システムがいかに多いことか。次号では行政分野に目を向けて、「利用されないIT」の原因を探ってみる。

図5 「J-SaaS全国キャラバン」の様子(横浜)
図5 「J-SaaS全国キャラバン」の様子(横浜)
佃 均 ITジャーナリスト
1951年生まれ、57歳。コンピュータ業界紙の編集長を経て2004年4月IT記者会代表幹事。情報システムのユーザー企業や情報サービス産業の動向に関わる報道を通じ、一貫して情報システムや情報サービス産業の高度化を提言している。主な著作に『日本IT書紀』『ルポ電子自治体構築』などがある。
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