[木内里美の是正勧告]

忘れられがちな地方と中小企業のICT

2016年10月17日(月)木内 里美(オラン 代表取締役社長)

筆者は幼少期こそ田舎で過ごしたが、社会に出てからの大部分は大都市で生活し、大企業で過ごしてきた。それゆえにふと自戒することがある。価値観や目線が大都市と大企業中心の独善になっていないかという懸念である。そしてアジアの発展途上国を訪れる時などに、忘れていた目線に気付かされることがある。

 大都市と地方、大企業と中小企業。これらには色々な意味での格差がある。話題の中心はいつも大都市と大企業に偏る。確かに経済の中心は大都市部にあり、多くの投資が大都市に向けられ、インフラも大都市優先であることは間違いない。東京一極集中を懸念して、遷都や主要官庁の移転(首都機能移転)の議論がある政治も同様だ。

 1990年に衆参両議院で国会等の移転に関する決議がなされ、基本方針は決められた。しかし反対の声も大きく、26年が経過した現在も具体化はされていない。大都市部から地方への子育て移住や老後移住が話題になったりはするが、地方創生の掛け声をよそに過疎化は進み、限界集落や危機的集落が増え続けている。

 企業に目を向ければ、多くの話題は大企業の動静が中心であり、中小企業や零細企業が話題になるのは匠の職人がいるとか、極めてニッチなビジネスで逞しく生き抜いているなど話題性の高い場合に限られる。多くの中小企業や零細企業が陽の目を見ることはあまりない。

国を支えているのは大都市や大企業か?

 都市機能は国を形成する上で極めて重要であるし、大都市は政治、経済、外交、金融、交通、通信などの核となり基盤となるものである。しかし都市を支えているのは地方から供給される労働力やエネルギーや製造物資や食糧などである。それらの流通が途絶えてしまうと都市機能はたちまち影響を受け、電気供給が止まっただけでも機能マヒしてしまう。大都市は地方のバックアップによって支えられているのだ。

 同様に、大企業も中小企業の支えがなくては成り立たない。日本を支える製造業は市場を海外に求めてグローバル化しているが、冷静に実態を見てみればその製造業を支える部品メーカーの多くは中小企業である。

 中小企業庁の2016年版中小企業白書によれば、大企業の企業数は1万1000社。これに対し中小企業は380万9000社であり、従業者数も大企業1433万人に対して中小企業3361万人と、圧倒的に中小企業が占めているのが現実なのだ。その下支え無くして大企業の活動などありえない。

 筆者が長く仕事をしてきた大手建設業も数1000社の専門工事会社との取引があって成り立っている。彼らがいなければ構造物は出来上がらない。大手建設会社の価値はプランニングや調達や工事マネジメントにあり、実際に現場で建設構造物を作り上げていくのは多くの中小企業に所属している職人さんたちだからだ。

 製造業も流通業も、あるいはサービス業でも情報産業でも構造は変わらない。それが産業の仕組みであり、それぞれの役割で成り立っているのだ。であれば対等であるべきだが、実際には様々な格差がある。

情報格差の地方と助けのない中小企業のICT

 本題のICTに目を向けると、地方と中小企業の取り巻く様々な格差が見えてくる。地方ではICTに関する情報が入らないという声をよく耳にするし、だから東京までわざわざ出かけてくる人も少なくない。大阪でさえその声がある。確かに東京では無料で参加できるセミナーはいくらでもあるし、異業種交流を通じて最新の情報も得られる。ネットワーク時代になっても生の情報が得られるのは大都市に偏っているということだろう。明らかな情報格差である。

 しかも情報の多くは大企業向けの話に偏っている。大企業の論理が中小企業のICTにそのまま適用できるものではない。それでも企業活動のためにICTを導入し活用し維持していかなければならない。システム部門を持てない会社もたくさんある。中小企業向けのコミュニティもあるが、数は圧倒的に少ない。

 「ひとり情シス」と呼ばれる個人の努力で支えられている会社も少なくない。サービスベンダー丸投げを一概に悪だと切り捨てられない、助けのない中小企業の姿がある。地方の自治体も同様の悩みを抱えている。企業経営とICTを語るとき、大都市や大企業の論理や視点だけで語っていないだろうか?地方や中小企業の元気が日本を元気にすることは間違いない。もう少し地方や中小企業にも目を向けたいものだ。

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