働き方改革の柱の1つとして、各企業でモバイルワークへの取り組みが進められている。柔軟な働き方を支援し、生産性を向上させるには、オフィスの外にいても不自由を感じさせないモバイルワーク基盤が不可欠だからだ。だが、モバイルデバイスが多様化する中で、業務に応じた機器の選択をはじめ、セキュリティ対策の強化、利用するアプリケーションの選別、そしてデータの保管や共有など、導入と運用を担当するIT担当者には押さえておくべき事項が山積みだ。本稿では、モバイルデバイスにまつわる現状と将来を見据えながら、今後、充実したモバイルワークを企業が実現していくために、どのようなポイントに留意しなければならないのか、ITアナリストの舘野真人氏に聞いた。

業務ツールの主軸はノートPCだが
今後、マルチデバイス化もさら進行

株式会社アイ・ティ・アール 取締役/シニア・アナリスト 舘野 真人氏株式会社アイ・ティ・アール 取締役/シニア・アナリスト 舘野 真人氏

――近年の企業におけるモバイルデバイスの活用の動向について、どのようにご覧になられていますか?

舘野氏:はじめにオフィス業務の中心を担ってきたPCですが、デスクトップ型からノート型への移行が見られています。モバイルといえばオフィスの外を思い浮かべますが、近年はオフィス内においても広がっており、打ち合わせスペースや会議室等に携帯し、すぐに起動して使えるような製品に対するニーズが非常に高くなっているのですね。したがって、企業が導入するPCもノート型が主流となりつつあり、この傾向はさらに加速すると考えられます。

 実際、2016年にITRが実施した調査の結果では、14インチ以上のノートPCがデスクトップを上回っており、5年後にはさらに増えることが予想されています。とはいえ、一般に“モバイルノート”と呼ばれている13インチ以下の機種よりもサイズが大きいものが好まれ、モバイルノートの利用は14%程度に留まっています。ノートPCの導入が増加しているとはいえ、多くの従業員は据え置きで利用しており、文書作成や計算などの業務は画面が大きいものが使いやすいからでしょう。

図1 現在最も利用している端末(単一)/5年後の利用端末(複数)(出典:ITR(2016年9月調査、N=228)
拡大画像表示

――スマホやタブレットといったスマートデバイスの業務活用についてはいかがでしょうか。

舘野氏:スマートデバイスの急速な普及により、一般企業における“脱PC”が進展するかと思われましたが、当初に期待されたほど進んでいないのが現状です。特に法人向けタブレットの新規出荷数は、ここ数年、鈍化傾向にあります。顧客への商品説明や申込書の作成など、コンタクトポイントの用途ではしっかり根付いているものの、オフィス業務においてPCの代わりにタブレットで仕事をするような状況には至っていません。

――PCの代替機としてスマートデバイスでオフィス業務を行わせるのは、現実的には難しいということなのでしょうか。

舘野氏:とはいえ、業務で利用する端末のマルチデバイス化も進んでおり、PC、スマホ、タブレットを仕事の内容に応じて使い分ける傾向も多々、見受けられています。移動中など、隙間となった時間でメールをチェックしたり、社内のファイルサーバにアクセスして情報を閲覧したりするほか、ふと思いついたちょっとしたアイデアを書き留めるといった使い方ですね。オフィス業務そのものの生産性向上というよりも、PCと一緒に使って業務の負荷を下げる、あるいは付加価値を高めるといった使い方といえます。

――その一方で、企業のIT管理者の視点からすると、マルチデバイス化の進展によって、どのような課題が生じているのでしょうか。

舘野氏:複数の多様なデバイスをいかに安全に、かつ効率的に管理していくかが課題として浮上しています。これまでPCに対しては、ツールによる資産管理をはじめ、Active Directoryを用いたグループポリシーの適用による一元管理などが行われてきましたが、マルチデバイス化の進展に伴い、すべてのデバイスを管理するための基盤を再構築する必要があるでしょう。例えば、Windows 10では、アーキテクチャにおいてモバイルOSとしての側面が強化されており、今後はEMM(エンタープライズモビリティ管理)の一環として、モバイルデバイス管理基盤にPCを含めていくような流れもあると思います。さらに、将来的には、ウェアラブルデバイスやIoTセンサーなども管理対象になっていくでしょう。したがって、多様性を確保した管理基盤の構築が必須になると考えられます。

マルチデバイスによる多要素認証が
モバイルセキュリティ強化の有効策

――マルチデバイス管理に関連して、セキュリティ対策について、どのような点に留意すべきでしょうか。例えば、ノートPCのセキュリティでは生体認証が注目を集めています。

舘野氏:生体認証に対する関心は高く、日本企業に人気はありますが、実際に導入するにあたって認証デバイスの価格や、数年間にわたってサポートしてくれるような製品ライフサイクルの確立、そして関連システムと認証テクノロジーの相性等、検討すべき点は多いのではないのでしょうか。また、ハードウェアが変わるたびに認証方式も変わる、というのもIT部門の現場からはあまり好まれていないようです。

 対して、スマホを利用した多要素認証は現実的な施策の1つと考えています。従業員に業務用のスマホも配っているなら、IDやパスワードを入力した後、さらにスマホにキーコードが送られてくるような多要素認証であれば、不正なログインがあった場合、スマホに通知されるのでセキュリティも高められますし、既に使用しているデバイスを用いるので導入コストも抑えられるからです。

Webアプリケーションの進化も
モバイル活用促進の牽引力に

――モバイルデバイスの業務活用促進には、モバイル向けアプリケーションの成熟も不可欠だと思われますが、現状をどのようにご覧になられていますか。

舘野氏:まずモバイル向けアプリケーションについては、最近、AppleがWebアプリケーションへの対応を発表するなど、ネイティブアプリケーションからWebアプリケーションへと拡張する流れが見られています。OSごとに異なるネイティブアプリケーションをインストールしたり管理したりするのはIT担当者にとって大きな負担であり、また、iOSの場合はApp Storeからダウンロードしなければならないなど、調達にまつわる負荷もよく聞かれます。

 そうした現状に対して、Webアプリケーションへの移行はモバイルデバイス活用の牽引力になると考えられます。また、モバイルにおけるアプリケーション活用ということでは、VDIも有効な選択肢の1つですが、Webアプリケーションがさらに進化すれば、VDIだけに依存することなく、複数デバイスで同一アプリケーションを利用するための敷居も低くなるのではないでしょうか。

――昨今では、デスクトップのアプリケーションをクラウド化したものも数多く市場に投入されています。

舘野氏:デスクトップアプリケーションのクラウド版については、正直、まだ使いにくい部分があることも否めません。例えば、グループウェアを例に挙げると、スケジュール共有に関する細かい機能がデスクトップ版でしかできない、といったことが往々にしてあります。とはいえ、クラウド版の使い勝手が向上し、デスクトップ版と遜色のない機能が実現できれば、それがブレイクスルーになる可能性は充分にあります。

 なお、クラウドアプリケーションの活用には、日本企業のネットワーク運用にまつわる課題もあります。社外からクラウドにアクセスするにしても、VPNでいったん社内に入り、プロキシを通じてインターネットへと出ていくような制御をする企業は少なくありません。その場合、ログインパスワードを2回以上入力しなければならないなど煩雑な操作を強いられることや、そもそもクラウドへのアクセスが遅くなるといった不満の声も数多く聞かれます。

モバイルデバイスによる新しい働き方を
許容できるかが生産性向上のカギ

――マルチデバイス活用の進展に伴い、データの保存や活用はどのように行われていくのでしょうか。

舘野氏:データについては、基本的にはデバイスの中には保存しない方向性になるでしょう。つまり、クラウドストレージの活用など、外部にデータを保管するような形態が一般的になると思います。データに関するもう1つの注意点としては、マルチデバイス活用でデータの数が増える一方、データの精度が下がる、ということがあります。同じ入力内容でも、スマホで入力したデータがPCで入力したものと同じ精度を保てるかどうかは疑問です。したがって、スマホやタブレットは、PCで作るような、練り上げられた最終成果物の作成という用途よりも、その前段階となる中間成果物的な文書の作成、および共有において効果を発揮すると思います。

 例えば、会議などの議事録もいちいちPCで書類にまとめるのではなく、ホワイトボードに書かれた内容をスマホのカメラで撮影、関係者に共有すれば、合意をとったり意見を募ったりするステップにすぐに進めます。逆に言えば、そうした新しい業務の進め方を許容できるような文化、組織づくりを行っていかなければ、生産性向上は果たせないでしょう。オフィス業務の中にはPCでしかできないものがあるのは確かですが、スマートデバイスだからこそ実現可能な、新しい仕事の進め方があります。写真や音声、ビデオ等の機能を活用した新しい業務の進め方は、従業員の働き方にも進化をもたらすでしょう。そうした新しい業務の進め方、従業員の働き方に合わせて、業務フローや意思決定のプロセスも変革していくことが、これからの企業には求められています。