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ミッションクリティカルに挑む─CERNの大型ハドロン衝突型加速器にもたらした"AI予測の力"

2020年3月2日(月)五味 明子(ITジャーナリスト/IT Leaders編集委員)

現在、そしてこの先もAIが情報技術の最重要トピックであることは論を俟たないが、重要なのは、このテクノロジーがすでに実用期にあるということ。スマートスピーカーやチャットボットのような手軽で身近なもの、グローバル組織経営の意思決定支援、難病の究明・予防など、さまざまシーンでAIの事例を見聞きするようになった。今回は、超大規模なミッションのためにAIによる将来予測を必要としたCERN(欧州原子核研究機構)のCMMSプロジェクトから、AIのポテンシャルの一端を紹介したい。

 「Einstein」や「Watson」など、大手ITベンダーが開発するAIプラットフォームには、科学やテクノロジーの世界で偉大な業績を残した人物の名前が付けられることが多い。業界特化型のERPベンダーとして知られる米インフォア(Infor)の「Infor Coleman AI Platform」もその1つだ。NASAの知られざる活躍者たちを描いた映画『Hidden Figures』(2016年公開、邦題:ドリーム)のモデルにもなったNASAの女性研究者、キャサリン・ジョンソン(Katherine Johnson)博士の旧姓コールマンからその名を取っている。

 Infor Coleman AI Platformは、2017年9月に米ニューヨークで開催されたインフォアの年次コンファレンス「Inforum 2017」で初めてそのコンセプトが明らかになった。「Digital Assistant」「AI Platform」「Robotic Process Automation(RPA)」という大きく3つのAIコンポーネントに分かれており、2018年にはDigital Assistantが、2019年にはAI PlatformがそれぞれGA(General Availability:一般提供開始)となった。なおRPAに関しては2020年内のリリースが予定されている。

 3つのコンポーネントの中でも、製品名が示すとおりColemanのコアとなるのが、2019年の「Inforum 2019」でGAとなったAI Platformである。AI Platformではデータの変換やモデルのトレーニング/再学習、モデルのAPI経由デプロイ/再利用など、マシンラーニング(機械学習)プラットフォームとして必要な機能がひととおり備わっている(画面1)。

画面1:Coleman AI Platformのインタフェース。AIの専門家でなくともアルゴリズムの選択やモデルの再利用、適用が容易である点も特徴の1つ。作成したモデルはION APIとしてデプロイされる
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 また、あらかじめ用意されている業界特化型のスターターパック(テンプレート)を活用することで、データモデリングなどAIの専門スキルを持たない、いわゆる"シチズンディベロッパー"でも使えるように設計されている点も特徴の1つだ。

 Colemanはすでに、インフォアのクラウドERP「Infor CloudSuite」の既存顧客を中心に採用事例を着実に増やしている。なかでも顕著なのが、プラントや建物、大型機械などの設備・機器を資産として統合管理するEAM(Enterprise Asset Management)システム「Infor EAM」とColemanを組み合わせた"AI×IoT"のユースケースである。

 以下では、そうした先進事例の中でも特に目を引く、欧州原子核研究機構(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器「LHC(Large Hadron Collider)」におけるColemanの活用事例について、CERNでアセット&マネジメント部門を統括するデビッド・ワイドグレン(David Widegren)氏へのインタビューを元に紹介する。

CERNの象徴、LHC加速器の安全維持という超大規模ミッション

 フランスとの国境に近いスイス・ジュネーブに巨大な研究施設を構えるCERN。1954年に設立されたこの世界最大の素粒子物理学研究所では、数多くの偉大な科学的発見を歴史に刻んできた。また、素粒子物理学の最先端研究所としてだけでなく、膨大な文献を探索するシステムとして開発されたHTMLやHTTP、それらの仕組みをベースにしたWorld Wide Webなど、インターネット技術の発祥の地としても知られている。

 このCERNを象徴するといっても過言ではない存在が、全長27kmの環状トンネル、フランスとスイスの国境をまたいだ地下100mの深さに設置されている大型ハドロン衝突型加速器「LHC」だ。2012年、物質に質量を与える"神の素粒子"の別名を持つ「ヒッグス粒子(Higgs boson)」が初めてCERNで観測され、2018年にはヒッグス粒子の崩壊も観測されたが、その偉業の舞台となった装置がLHCである(写真1)。

写真1:ヒッグス粒子の観測など、科学史に残る数々の発見の舞台となったCERNの大型ハドロン衝突型加速器「LHC」。地下100mに全長27kmのトンネルとして設置された、世界で最も複雑で精密な機器は、現在は2年間のメンテナンス期間に入っている(出典:CERNト)
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 LHCでは素粒子同士(陽子と陽子)を強力な磁石で加速して衝突させるという、非常に高いエネルギー負荷をかける実験が行われている。したがって、装置は特殊な合金によって作られており、複雑な構造を有する。

 例えば、ビッグバン直後の宇宙に近い状態を再現し、その観測を行うためには陽子を光の速さの99.999999%まで加速する。その際、LHC内部の温度は1京度(1016K)にまでも達するが、その後すぐに大気圏外よりも低い温度、約1.8Kに冷却されなくてはならない。そうした特殊な環境を作り出す装置は、それを構成する何百もの部品の1つ1つが最良の状態に保全されている必要がある。もし、LHCに想定外のダウンタイムや故障が発生すれば、実験の成否に大きな影響があるだけでなく、研究者や従業員、訪問者を含むすべての関係者の安全性や利便性が損なわれる危険もある。

 デビッド・ワイドグレン氏(写真2)は、LHCを含むCERNの重要なアセットやインフラ、具体的には極低温貯蔵器や放射線設備機器、LHCを設置する地下トンネル、リフト設備、冷却システムや換気システムなどの管理を統括する立場にある。つまり、CMMS(Computerized Maintenance Management System:設備保全管理システム)を構築して、これらの装置やインフラを最善の状態に維持することが同氏に課せられた重要な責務だ。

写真2:CERNでアセット&マネジメント部門を統括するデビッド・ワイドグレン(David Widegren)氏

 このミッションを支えるアセット管理システムとして、CERNでは業界特化型の企業設備資産管理システムのInfor EAMを採用している。ワイドグレン氏によれば、Infor EAMが管理しているCERNのアセットの数は、LHCを構成する部品からエレベータや火災報知器のような日常的なインフラに至るまで、トータルで240万を超えるという(写真3)。

写真3:Inforum 2019で紹介されたCERNによるInfor EAMの導入事例。240万ものパーツをInfor EAMで管理していたことが、今回のAI Platform導入につながった
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 「CERNのスタッフは2800名ほどで、彼らはInfor EAMを通して装置や設備の状態を把握する。Infor EAMに紐付けられているドキュメントの量は100万を超え、年間で18万を超えるワークオーダー(作業指示)を扱う。Infor EAMを導入し、アセットデータの管理を一元化した結果、メンテナンスの効率性は1人あたり15%向上し、LHCの可用性は常に98~99%の状態に保たれている」(ワイドグレン氏)

●Next:CERNが超ミッションクリティカル装置の安全維持にAIを必要とした理由

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