[ユーザー事例]

中小企業における情報化の実際─IT活用ではなく、まず足下を見直す

J-SaaS全国キャラバンから

2009年7月23日(木)佃 均(ITジャーナリスト)

中小企業のIT活用は本来、どうあるべきか─。実はこの問自体が間違っている。IT活用で先行する中小企業の経営者はいったんITから離れ、改めて足元を見直すアプローチを採っているからだ。今回は「J-SaaS」を題材に、中小企業の取り組みを見る。

図1 枚岡合金工具の社長である古芝保治氏 写真1:枚岡合金工具社長の古芝保治氏

枚岡合金工具は大阪・天王寺に本社を構える資本金1000万円の金型メーカーだ。1949年にボルト、ナットの製造で創業し、現在の売上高は約2億円。従業員数は正社員が13人、非常勤役員やパート・アルバイトまで含めて20人強である。典型的な地場の中小企業といっていい。

普通の町工場と違うことの1つは、冷間鍛造、超硬合金の微細仕上げなど特殊な金属部品加工技術を保有していること。このため取引先リストには自動車メーカーや家電メーカー、建設業など著名企業が並ぶ。

もう1つは部品を作る金型の図面を自社開発したファイリングシステムでデータベース化し、検索可能にしていることだ。詳細は後述するが、図面は9万以上あるからシステム化の利点は多い。加えてそのシステムを「デジタルドルフィンズ」の名で外販するなど、ITを経営に活用。経済産業省が実施したプログラム「中小企業IT経営百選」の2006年度最優秀賞に選ばれた。

一方、経済産業省が日本の中小企業の経営高度化を目指し、今年3月末にスタートさせた「J-SaaS」というサービス。普及・啓蒙のため、同省は3月中に全国100カ所でセミナーを開催した。

そのセミナーの1つ、「J-SaaS全国キャラバンin高松」の最後に行われたパネルディスカッションにユーザー側パネラーとして登壇したのが、枚岡合金工具の社長である古芝保治氏である。「呼ばれればどこにでも行きまっせ」の気さくな人柄もあいまって、古芝氏は講演会や雑誌のインタビューに引っ張りだこになっている。「あ、知ってる」という読者も少なくないだろう。

「基本は3S、つまり整理、整頓、そして清掃。製造業の経営を改革するには、これ以外にありません」。こう切り出して、同氏は自社のプレゼンテーションを開始した。IT経営を知ろうと思ってセミナーに参加した人に、この言葉は違和感を抱かせたかも知れない。というのもJ-SaaSのキャッチフレーズは「中小企業経営者の右腕」。そのために財務会計、人事給与といった企業経営のためのアプリケーションを用意している。古芝氏の言葉は「わたしら中小企業にとって、システムは2の次、3の次」と言っているように聞こえる。受け取りかたによっては、J-SaaSの存在意義を否定しかねないのだ。

J-SaaS紹介ビデオ

「鶴田酒店はどこの商店街にもある、ありふれた個人経営のお酒屋さんだ。ご主人の鶴田常男氏が仕入れと営業、奥さんの恵子さんが経理を担当し、2人の店員を雇っている。

毎日の商売は順調だが、このところ鶴田氏は溜息をつくことが多い。運転資金の見通しが分からないために、ビジネスチャンスを失って奥さんからなじられ、一触即発の険悪ムードが漂った。店員が誤って名刺の束を床に撒き散らす、ダイレクトメールは宛先不明で戻ってくる、商店街の寄合いをすっかり忘れていて大慌てで飛び出して行く…。ドタバタが続いていたからだ。おまけについ先日、ノートパソコンを床に落として、情報が読めなくなってしまった。さて、どうしたものか─。

鶴田氏が、こう頭を抱えていたところに登場するのが「J-SaaS」である。インターネットとブラウザさえあれば、いつでもデータを管理でき、運転資金の見通しも顧客管理もバッチリ。手許のPCが壊れてもデータを失うこともないし、セキュリティは万全。商売上のドタバタが原因で気まずい空気が生まれていたご主人と奥さんの関係も円満になりましたとさ。メデタシメデタシ─」。

今年3月、全国で展開したJ-SaaS普及セミナーの会場で、このような紹介ビデオが必ず流された。J-SaaSを使えば、経営がIT化され、こんなに上手くビジネスが広がります、というのだが、読者はどう思っただろうか。ビデオを観た人たちの感想はおおむね、「そんなに上手くいくわけがない」というものだ。「昨日まで一本指打法だったキーボード操作が、J-SaaSを導入したとたん、タッチタイピングになるのはどういうこと?」、「PCに通信回線がつながってない。それに店の中だってきれい過ぎるのでは?」。こんなビデオの枝葉末節をあげつらう声が聞こえてくるのは、舞台設定に無理があったためだ。次のような冷めた見方もある。

「所詮はドラマ仕立てのPRビデオ。制作者たちは無理を承知で作っているのだし、経産省の担当者も官製SaaSの成功を信じているとは思えない。次世代サービスモデルが浮揚する弾み車にしたいのが本音ではないか」。これは政策のコンセプトに無理がある、という指摘にほかならない。その是非を議論する前に、考えなければならないことがある。「個人経営のお酒屋さんに、IT経営が必要か?」だ。

図2 J-SaaS紹介ビデオの1シーン
図2 J-SaaS紹介ビデオの1シーン
図3 J-SaaSサイトのトップページ
図3 J-SaaSサイトのトップページ

事務のIT化と経営のIT化

前述したように、J-SaaSが実質的にスタートしたのは、今年の3月31日だった。新事業の開始は年度が替わる4月1日というのが通常だが、年度末となったのは予算の関係があったためだ。2008年度内に事業を始めておかないと、次年度以後、予算が継続できなくなるという、お役所ならではの事情である。

文字通りの駆け込みだったため、関係者は十分な準備ができなかった。スタート時に用意したソフトウェアは、財務会計・販売管理・人事給与といった業務アプリケーションのほか、電子取引システムなど計26種。ところが3月中に全国で展開した普及啓蒙セミナーでは、利用方法や料金体系を明確に説明できなかった。

「擬似的でもいいから、J-SaaSのサイトに接続して利用手続きぐらいは説明したいんですが、できない。そんな状態で、便利ですよと勧めるのは辛いものがあります」。筆者がコーディネータを務めた各地で、このようなJ-SaaS普及指導員の声を耳にした(本誌注:6月初め時点では、利用手続きなどの情報がある)。にわか仕込みのセミナーだったため、地域経済産業局や商工会との連携がないばかりか、同じ日に類似のセミナーが重なっていたこともある。

「お役所は『大企業と比べて中小企業はITの利活用に遅れている』と考えている。ITに投資できる余裕がない、専門の人材がいない、強力にバックアップしてくれるITベンダーもいない。だから“早い・安い・うまい”の牛丼でいいだろう、というのはちょっと違う」。こう言うのは、石川県武生市でITコンサルタントとして活動している先織久恒氏だ。

同氏は福井県情報化支援協会の理事長であるとともに、J-SaaS普及指導員も務めている。その立場でJ-SaaSの意義は認めつつ、現在のプロダクト・ラインアップや利便性だけを強調するプロモーションには、あまり納得していないようだ。

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