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クラウドが箱根を変える!? Oracle Service Cloudを導入した2つの老舗旅館が挑む観光地のIT化

2017年8月16日(水)五味 明子(ITジャーナリスト)

観光立国が叫ばれてはいるものの、立地や伝統などだけに頼って経営が成り立つほどホテル旅館業界は甘いものではない。あまたある中から、いかに顧客に選んでもらうか。いかに再訪してもらうか…。そこに知恵を絞る上で欠かせないのがITの活用だ。箱根では今、若い世代が中心となって、新たなチャレンジが始まっている。

 2020年の東京オリンピック開催まであと3年。日本は現在、全国各地で官民挙げてのインバウンド誘致が積極的に進められている。しかし観光客数が伸びるにしたがい、「モバイル決済が使えない」「無料で使えるWi-Fiが少ない」「英語表記のWebサイトがない」といったIT面での整備の遅れを国内外から指摘されるケースも増え始めてきた。

 他の産業と同様に、国内の観光業界もまた少子高齢化による人材不足や施設の老朽化に悩まされており、ITインフラに十分な投資をする余裕はない。しかし何も手を打たないままでは、日本の観光地は世界から忘れられることにもなりかねない。そうした中、クラウドを活用することで、観光客にその土地の魅力を新しいかたちで伝えようとする動きが箱根で始まっている。今回、顧客対応の向上を図るために「Oracle Service Cloud」を導入した2つの旅館 - 箱根湯本温泉の「ホテルおかだ」(http://www.hotel-okada.co.jp/)と箱根芦ノ湖温泉の「和心亭豊月」(http://hakone-hougetu.com/)に取材する機会を得た。両者へのインタビューを通して、変化の節目を迎えている観光業界にITは何をもたらすことができるのかを考えてみたい。

利用客の“自己解決”をクラウドで支援する - ホテルおかだ

 箱根湯本の地に5本の源泉を所有するホテルおかだは、13種類もの温泉が楽しめる豊富な湯量が魅力の和風リゾートホテルだ。同ホテル 取締役営業部長 原洋平氏の祖父が63年前に創業したときはわずか4室の小さな温泉旅館だったが、現在ではタイプの異なる124の客室を抱える大型ホテルへと拡張されている。また、都心からわずか85分という地の利を活かし、宿泊だけでなく日帰りで温泉を楽しめるプランを数多く用意していることも同ホテルの特徴だ。大型ホテルらしく、利用客の約4割を占めるという団体客を収容する宴会場も充実している。

箱根湯本駅からのアクセスもよく、四季折々の箱根を楽しめるホテルおかだ。5本の源泉をベースにした13の入浴施設と124の客室をもつ大型リゾートホテル

 Oracle Service Cloudの導入は、友人で同じ箱根の地で老舗旅館を経営する和心亭豊月 支配人 杉山慎吾氏(後述)から勧められたことがきっかけだ。現在、ホテルおかだの予約申し込みはネット経由が中心だが、電話による問い合わせも少なくない。だが原氏によれば「電話での問い合わせのうち、4割ほどが電話応対できない時間帯にかかってくる」とのこと。こうした部分での取りこぼしを少なくし、予約決定率を上げていきたいと考えていたところ、杉山氏からService Cloudの話を聞いたという。

 SaaSベースの顧客サポートソリューションとして国内でも多くの導入実績があるService Cloudには、ナレッジベースのAIエンジン「iKnow」が搭載されている。このAIエンジンをバックエンドにしたFAQ機能(Webセルフサービス)を提供することで、利用客が疑問を自己解決する機会を増やし、電話応対の時間帯制限による機会損失を大きく減少させる効果があるという。「結果としてService Cloudの導入後は入電数を減らすことができ、人手を増やすことなく問い合わせ件数の増加に対応できた。導入前に較べて10~15%の集客増があり、効果を実感している」(原氏)。

ホテルおかだ 取締役営業部長 原洋平氏

 エンジニア出身の原氏は前職でオラクル製品に触れる機会が多かったこともあり、Service Cloudにはすんなりと慣れることができたという。「オラクルの製品はバックエンドのデータベースがしっかりしているので、データベースを軸にいろいろと展開できる点が魅力。Service Cloudは利用者にとっての自由度が高く、APIも非常にすぐれていると感じる。AIエンジンの精度も高い。AWSのAI製品も試してみたが、東京リージョンでの提供がまだなこともあって、SaaSとしての完成度が高いService Cloudを選んだ」(原氏)と高い評価を寄せる。

 iKnowは、過去のナレッジ(利用客から寄せられた質問など)を集約するだけでなく、自己学習と自己管理の機能を備えている。さらにAIによる質問の予測や回答検索の最適実行を通して利用者が問題解決するまでの時間短縮を実現することも特徴のひとつだ。だがそれ以外にも「利用客が検索するキーワードをService Cloudによって知ることで、利用客がどういったことを知りたがっていたのか、何に不安を感じていたのか、その具体的な中身がわかるようになったことは大きい」と原氏は語る。

 例えば「離乳食 あたため」「売店 パンツ」といったキーワードからは「離乳食を温めることはできるのか」「売店に下着は売っているのか」といった利用客の疑問が見えてくるが、こういった細かい要望はService Cloudを導入するまでは見えにくかったという。見えなかったニーズが見えてくることで、利用客の不安の解消につながる効果はカスタマーエクスペリエンスの面からも決して小さくない。「Service Cloudにはチャットボット機能もあるが、AIに理解できる質問文を作成する作業は利用客にとっての負担が大きい。宿泊前に手軽に問い合わせられるサービスとしてはFAQのほうが適している」(原氏)。

 「FAQに掲載する質問はだいたい出尽くした感がある。だが現時点では利用客の声をFAQにしか活用しきれていない。当ホテルだけではなく、箱根全体の活性化につながるデータ活用の道を探っていきたい」と原氏。今後はService Cloudの他の機能を活用することも含め、観光業としてデータ活用による次のフェーズを目指す。

AIベースのFAQは“旅の入り口”- 和心亭豊月

 「芦ノ湖を一望できる大人の箱根宿」──。箱根駅伝の往路のゴールでもある箱根神社にほど近い場所にある和心亭豊月は、大規模宿泊施設のホテルおかだとは対象的に、わずか15室のみのプライベート感あふれる高級和風旅館だ。

芦ノ湖を一望できる場所にひっそりと建つ和心亭豊月は15客室のみ、1泊3万5000円からの高級和風旅館

 営業は今年で66期目となるが、芦ノ湖での開業は25年前、現支配人の杉山慎吾氏の父親の代になってからで、杉山氏が入社した10年前から個人客、それもリピーターの獲得に力を入れてきたという。「芦ノ湖という交通アクセスが不便な場所にある豊月にとって、リピーターは大切な存在。“顧客の創造”とは我々にとってリピーターの獲得そのものを指す。現在、リピーター率は約35%だが、これを次の世代にも増やしていくために、マタニティや赤ちゃん連れ、記念日を過ごす夫婦/カップルを“3本柱”のターゲットとしてフォーカスしている」(杉山氏)。

和心亭豊月 支配人 杉山慎吾氏

 リピーターを大切にする豊月ではこれまで「予約が始まった瞬間から宿泊が始まっている」をモットーに営業をしてきた。しかしある日、電話をかけてきた日本オラクルの担当者から「そんなことじゃ甘い。利用客が行きたいと思った瞬間から旅は始まっている」と言われたことで「リピーターを含む利用客とのコミュニケーションのあり方を考え直すようになった」と杉山氏は振り返る。そしてこのことがOracle Service Cloudの導入につながった。利用中の機能はホテルおかだと同様にAIベースのFAQが中心だが、電話による応対を減らすことが主目的だったホテルおかだとは異なり、杉山氏は「うちの予約の35%は電話によるものなので、(Service Cloud導入で)電話応対を減らすことは考えていない」と言う。

 では豊月ではService Cloudにどんな効果を期待して導入したのか。豊月のFAQページのトップにはこう書かれている。

当館ではご検討の段階から旅が始まると考えています。

皆様のご不安やリクエストにできるだけお応えすべく、本ページでは人工知能(AI)により今までにいただいた質問、回答を蓄積することはもちろん、よりお客様のニーズに合った関連質問を表示がされるようになっています。

その数約数百。館内のご案内はもちろん地域のイベント情報まで、さらなる拡充に努めておりますので、質問入力画面にどうぞお気軽にご入力ください。

もちろん、お電話、メールでのご質問も承っておりますので、お気軽にお問合せください。素敵な旅となりますように…当館が全力でサポートいたします。

 FAQを検索している時点ですでに旅は始まっている。FAQは利用客にとって旅の最初の入り口であり、Service Cloudはその体験をより豊かなものにするためのツールだ。「15室の旅館には15室なりのやり方がある」と杉山氏は言う。3本柱となるターゲットに深くリーチし、リピーター率を向上させるためには、個々の利用客とのエンゲージメントは太く強くしておく必要がある。

 また、小さな旅館である以上、応えられないニーズがあることもFAQで明確に示しておけば、無駄なマッチングを避けることが可能になる。例えば「当館には露天風呂付きの客室は一室もない」(杉山氏)が、FAQで「露天風呂」を検索すると「部屋にお風呂はありますか?」という質問が結果の一番上に表示される。Service CloudはコンテンツをAIで学習してスコアリングするしくみを備えているが、その機能をオフにすることもできる。だが、あえてそのまま表示させることで、利用客がもっとも関心をもつ分野には迅速に回答し、“できないこと”への対応すらも旅の体験のひとつに変えている。「AIを導入していると聞いて、検索に長い文章を入力する利用者が増えてきた。またページビューも5月の稼働以来、順調に増えている。現在の数値目標はコンバージョン率を25%に上げること」(杉山氏)。

 Service Cloudは利用客の旅の時間を予約前から演出するツール──。杉山氏はService Cloudをこう評している。FAQから始まる旅の時間、その最初の入り口はクラウドの上にある。

◇ ◇ ◇

 2011年の東日本大震災、そして2015年の大涌谷の噴火と、箱根はここ数年で大きな試練を迎えてきた。特に大涌谷の件ではメディアからも攻撃されることが少なくなく、観光客数が激減したのは記憶に新しい。「このままでは観光地としての箱根はダメになってしまいかねない。箱根は観光がすべての街。観光地として生き残る道を“オール箱根”で探っていかなければならない」──。そう危機感を募らせた若い世代が中心となり、 一般財団法人箱根町観光協会 誘客宣伝委員会が結成された。原氏も杉山氏のそのメンバーとして活躍中だ。

「オール箱根」の体制で箱根のITによる活性化に取り組むという原氏と杉山氏。ITの知見と経験が豊富な世代が箱根をどう変えていくのかが注目される

 「東京から近いにもかかわらず、箱根にはこれまで日帰り観光客のニーズをすくうしくみがほとんどなかった」と原氏は言う。たとえば、その日の天候や交通情報は、時間にあまりゆとりがない日帰り客ほど重要な情報だが、それを見せるしくみもツールもなかった。こうした部分をITで積極的に整備していくことも誘客宣伝委員会の仕事だ。現在はスマートフォン用のアプリを用意しており、おすすめスポットや交通情報、天気予報などの情報を提供するほか、大涌谷の噴火のような非常事態に際してはエマージェンシーをユーザーの端末にプッシュする機能も用意している。

 今後は観光客の属性データをリアルタイムに収集/分析するしくみを作り、個々の観光客に最適化された情報を提供する試みも検討中だという。「観光地全体でITによる活性化を目指しているところは国内ではまだ少ない。だがService Cloudのようなクラウド製品が普及したことで、いろいろなことがやりやすくなった」と杉山氏。クラウドによって敷居が低くなった観光地のIT化、そのモデルケースになるべく、箱根は新たな成長フェーズに入ろうとしている。
 

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