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変化に強く、ビジネスに先回りするITへ─星野リゾートのIT構造改革

2023年7月12日(水)指田 昌夫(フリーランスライター)

長野県北佐久郡軽井沢町に本社を置く、総合リゾート運営企業の星野リゾート。同社の経営を支えるのは「変化に強く、ビジネスに先回りするIT」。観光業の情報システムの構造的・歴史的な課題から脱却して、ビジネス価値を最大化させるためのデザインとデリバリの変革を推し進めてきた。2023年6月に都内で開催された「ガートナー アプリケーション・イノベーション&ビジネス・ソリューションサミット」に、星野リゾート 情報システムグループ グループリーダーの久本英司氏が登壇。IT構造改革の経緯や次世代基幹システムのコンセプトについて語った。

コロナ禍で本領を発揮した「変化に強いIT」

 周知のように、コロナ禍で観光関連産業は大打撃を受けた。成長を続けてきた星野リゾートも2020年4月の売上高は前年比9割減となった(図1)。そのとき同社は100年前のパンデミック、スペイン風邪の記録を参考に、この流行はすぐには収まらないと想定し、ただちに「18カ月間の生き残り戦略」を定めた。その内容は、「現金を掴み、離さない」「需要の復活に備え、雇用を維持する」という2点を最優先に、代わりにブランド戦略と顧客満足度の優先順位を下げるという大胆な指針だった。

図1:2020年4月の売上高は前年比9割減、100年前のスペイン風邪の記録を参考に、パンデミックからの「18カ月間の生き残り戦略」を定めた(出典:星野リゾート)

 星野リゾート 情報システムグループ グループリーダーの久本英司氏(写真1)は、「IT部門ができることはすべてやってきた」と当時を振り返る。同氏は、情報システムやデジタルサービス開発のすべてを統括するITの司令塔として、年間5000万円の情報処理費用削減、同3000万円のサーバー費用削減をはじめ、「現金を掴む」ための新サービスの提案を行ってきた。

写真1:星野リゾート 情報システムグループ グループリーダーの久本英司氏

 「コロナ禍で継続が困難になったホテルの運営依頼が舞い込んできた中で、情報システム部門のリソースが足かせにならないように対応できたと思っている」と久本氏。例えば、大浴場混雑可視化アプリは、オリジナルIoTデバイスの開発を含めて6週間でデリバリーを果たす。非常事態宣言が出された2カ月後の2020年6月に、14の温泉旅館に同時投入できたことで大きな注目を集めた。

 また、Go Toキャンペーンの「Go Toトラベル」への対応では、国からの確定情報が遅れる中、星野リゾートは仕様を予想して、いち早く自社の予約システムに組み込むことができた。他にも数多くのサービスを短期間に開発している。久本氏は、これらの臨機応変な開発が可能だったのは、コロナ禍より前に「変化を前提としたIT能力」の備えができていたからだと話す(図2)。

図2:コロナ禍より前に「変化を前提としたIT能力」の備えができていた(出典:星野リゾート)
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ITが事業成長の足かせになってはいけない

 星野リゾートの果敢なIT施策は、過去にITが事業成長の足かせになった苦い経験に端を発する。2013年、事業拡大に対応するために導入したオフショア開発がうまくいかず、ITの開発スピードが成長の足を引っ張る事態となっていた。その翌年、久本氏は停滞からの脱却を目指してさまざまな勉強会に参加し、IT戦略の立て方を学んだという。その過程で、近い将来デジタル社会が訪れ、ビジネスだけでなく、あらゆることがデジタル化されていくことに確信を深めていった。

 当時、久本氏は星野リゾートのITに関して3つの課題を持っていた。1つ目は、観光ITの構造的・歴史的な課題だ。ホテル業界では、システムを自社開発している企業は少なく、何らかのパッケージを利用しているケースがほとんどだった。この背景には、長い歴史の間、航空券の発券やホテル予約などの観光ビジネスのチャネルが、旅行代理店に独占されていたことがある。そのため、インターネットが広範に普及して各ホテルが直接予約を取れるようになっても、予約とホテル運営のシステムは分断されたままだった。

 2つ目は、ホテル運営の各業務プロセスがバラバラに進化してきたこと。久本氏は、星野リゾートに入る前に米国のスモールビジネス向けの会計システムの開発に携わっていた。そこでは見積から受注、請求、納品まで、すべて複式簿記形式で統一されていた。スマートなデザインで機能拡張も容易だったそのシステムと比べ、ホテルの業務システムはサイロ化が際立っていた。もっと効率化できるはずだと考えていたという。

 そして3つ目が、60年以上前のITの設計思想で考えられた基幹システムが、いまだに使われているということだ。「足かせから脱却できていないため、未来についてもなりゆきにしか描けていなかった」(久本氏)

 久本氏は、これらの課題を克服し、変化に対応できるシステムを内製で作らなければいけないという考えに至る。「デジタル化が真っ先に進んだIT業界は、変化前提の組織づくりも、最も進んでいた。IT業界のベストプラクティスを手に入れれば、変化前提のIT能力を身に付けることができると思った」(同氏)

 だが、当時の情報システムには社員が3人しか在籍せず、開発から運用までほとんどを外部のベンダーに頼っている状況だった。会社も、IT立て直しのための投資を簡単に認めてくれなかった。そこで久本氏は、2015年から5カ年計画を立て、経営と事業の要望に応えながら、虎視眈々と変革の能力を身に付けることを目指した。

内製開発者が習得すべき「モデリング能力」

 変化に対応するIT能力を持つために最初に必要なのは、人と組織。久本氏は、まずは組織づくりから始めた。

 2024年に創業110年を迎える星野リゾートは、持続性を最重視した競争戦略を持っている。この戦略に業務システムがきちんと対応していくために、ITエンジニアには、ビジネスの構造を理解したうえで、システムをみずから作り変えていく能力が必要だと考えた。

 具体的には、UML(Unified Modeling Language:統一モデリング言語)を用いて、取引の構造まで理解して、業務システムを再構築する必要があると考えた。久本氏は外部の人材を探したが、適任者を探すのは難しかった。

 そこで、自社の社員を専門教育でITエキスパートに育成することを決定。2016年に、UMLの専門家である児玉公信氏(情報システム総研 代表取締役社長)に講師を依頼し、現場社員の育成がスタートした。

 現場の社員が業務経験から得ている思いやこだわりを、モデリングの能力に生かすことで、ビジネスの構造を踏まえたシステムを構築することができる。社員によるモデリング能力の獲得には約5年という長い時間がかかったが、その結果、変化に対応できる開発能力が身に付いたという(図3)。

 「普遍的に思える事業の構造も、時間軸を長く見るとどこかで変化する。構造を理解していれば、環境変化にバリューチェーンや組織、業務プロセスをどう対応させるかを考えられるようになる。また顧客ニーズが変化したときも、バリューチェーンのどこを変化させて新しいサービスを生み出せばよいかがわかる」(久本氏)

図3:現場の社員の思いやこだわりをモデリングの能力に生かすことで、ビジネスの構造を踏まえたシステムを構築することができる(出典:星野リゾート)
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●Next:「投資判断会議」と次世代新基幹システム

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